もともと名古屋市千種区の生まれだった創業者である中嶋哲男が、ここ名古屋市守山区へ越してきたのは昭和40年のことです。
JR中央線の新守山駅が開業したのが昭和39年になりますから、
そのころは周りに家は少なく田畑に囲まれた静かな町でした。
写真は昭和54年当時の風景です。
家の前の龍泉寺に繋がる道路は途中で寸断され、
交通量はほとんどないのが分かります。
家は昭和40年に建てられ、8坪ぐらいの作業場で仕事をしていました。
今ほど機械化は進んでおらず、手縫いで作る箇所も多かったため、一日にできる畳の枚数はせいぜい6枚程度。
また、余所から引っ越してきたこともあって、地元の人から信頼を受けて仕事をいただくのも大変な時期でした。
今では住宅も増え、家の前にはガイドウェイバスが開通するなどして、人口は増加傾向にあります。
家も昭和56年に建て替えられ、作業場も16坪程になりました。
早いもので50年が過ぎ、おかげさまで地元の人にも支えられながら、今では親子2人で仕事に励んでいます。
「50年の信頼と実績」を受け継ぎ、地元の方に愛される畳店を目指していきたいと思います。